ビセンテ・フェルナンデスとは
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メキシコを代表する国民的大スター、「ビセンテ・フェルナンデス」。通称「チェンテ」。
若者に圧倒的人気を誇る「アレハンドロ・フェルナンデス」の父親でもあります。
2021年12月12日に亡くなったビセンテですが、彼の人生は並大抵なものではありませんでした。
彼はもともとメキシコの低所得世帯に生まれ、数々の努力の末に、「伝説」「ランチェラ音楽の王様」などと呼ばれるまでになります。
Pedro Infante
Javier Solis
Jorge Negreteの偉大な3人に次ぐ、最後の伝説のランチェラ歌手。
この信じられないような下剋上は「メキシコ版アメリカンドリーム」とも言われ、Netflixのドラマにもなりました。
そんな、私が愛してやまないランチェラ音楽の歌手「ビセンテ・フェルナンデス」について紹介したいと思います。
「ランチェラ音楽」とは
「ランチェラ」音楽は1930年代から1940 年代、ハリスコ州で誕生した、メキシコの国民的音楽ジャンルです。
マリアッチの衣装を来たバンドが演奏するランチェラ音楽は、当時ラジオや映画で絶大な人気を博しました。
ロマンチックかつ男らしい歌詞を用いることから、「古くさい音楽」と一部のフェミニストからは嫌われる傾向にあります。
ビセンテ・フェルナンデスの人生と経歴
ランチェラ音楽の聖地ハリスコ州出身
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本名ビセンテ・フェルナンデス・ゴメスは、マリアッチやテキーラで有名なメキシコらしい町、ハリスコ州出身。
ウェンティトラン(Huentitán el Alto)という、小さな田舎町で1940年に生まれます。
父親がアルコール中毒者であったため、借金を多く抱えた貧乏な家庭で育ちます。そのため、幼い頃から肉体労働を強いられていました。
ペドロ・インファンテに憧れ、幼い頃からランチェラ歌手になることを夢見るようになります。
父とティファナへ出稼ぎに行く
ビセンテの父親は借金取りから逃げるように、ティファナへ出稼ぎに行くことを決めます。
ビセンテも幼くして父親と一緒にティファナへ引っ越し、のちに家族を呼び寄せています。
そこでは肉体労働で父親と一緒に家族を支え、交通事故で大怪我も負っています。
ビセンテはティファナで貯めた貯金で父親の借金を返し、最終的に家族でハリスコへ帰ることになります。
メキシコシティへ引っ越す
大人になったビセンテは歌手になるため、メキシコシティへ引っ越します。
当時歌を歌っていた「Amanecer Tapatio」という高級レストランで、21歳の時にテレビ番組デビュー。
同様のフェリペ・アリアガとともに、マリアッチのボーカルとして活躍しました。
後に、大手レコード会社CBCに入社し、結婚した妻クキータとともに安定した生活を手に入れることとなります。
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CBCではマネージャーであるラウル・ベラスコと出会ったことで、確実にキャリアを積んでいきました。
従来の男性優位の社会を反映したランチェラ音楽とは裏腹に、「弱気な男性」を描いた歌詞を発見し、ダメ元で友人のラジオ番組にて歌ってみる。
この曲は一晩で大ヒットを巻き起こし、ビセンテは国民的大スターへの道を切り開くこととなる。
これこそが彼の代表曲、「Volver, Volver」。私も大好きな曲です!
1984年9月15日にはメキシコの闘牛場を貸切り、超大規模なコンサートを行ったことで有名です。
出したアルバムの数は80枚以上。
メキシコ系移民の多いアメリカでも広く知られることとなり、ハリウッドのWalk Of Fameに名前が入れられました。
ビルボード賞やグラミー賞でも表彰されています。
2016年アステカスタジアムで行われたコンサートで引退を発表し、末っ子のアレハンドロ・フェルナンデスとともに舞台を盛り上げました。
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ネットフリックス「El Rey」
ビセンテ・フェルナンデスの数奇な人生は、ネットフリックスのオリジナルドラマにもなっています。
貧乏から大スターへの大逆転人生は、努力と苦労の結果。ハマってしまい、一気に見てしまいました。
まとめ
ビセンテ・フェルナンデスは、メキシコの音楽を知るうえでは切っても切り離せない存在。
彼の送ってきた人生を知ることで、違った角度から彼の音楽を楽しめるようになるはずです。
興味のある方は、ドラマも見てみてくださいね。
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