日本は卑弥呼の時代から菜食主義?知られざる肉食禁止の歴史3選!

肉食禁止 歴史

好きな日本料理は何?

私は牛丼が好きだよ。

現在の日本料理といえば、牛丼、トンカツ、和牛など、肉料理をイメージする人を多いかもしれません。

しかし実は、日本人が本格的に肉食を始めたのは、たったの50年ほど前です。

日本人は大昔から明治維新まで、世界的に見ても非常に高い精神性を持つ民族でした。

そのため日本には独自の宗教観が存在し、はるか大昔から、神に通じるため、神のご加護を受けるためには、肉食をしてはいけないと信じられていました。

その例として、邪馬台国の卑弥呼の時代から、血や屍は「穢れ」という概念を持っていたことが挙げられます。

邪馬台国時代では、人が死ぬと動物性のものを口しなかったり、船旅の無事を祈るシャーマン的役割の人が菜食を徹底していたことが分かっています。

今回は、あまり知られていない、肉食がタブーだった日本の歴史について、ご紹介します。

肉食 禁止 歴史

こんな疑問を解決します。

  • 日本人はいつから肉を食べるようになった?
  • 昔はどうして肉食が禁止されていたの?
  • 菜食の歴史はどんなものがあるの?

それでは見ていきましょう。

目次

日本における肉食禁止の歴史

肉食・殺生禁止令

徳川綱吉の令だね。

そう、「肉食禁止令」といえば、江戸時代に徳川綱吉が出した「生類憐みの令」ですよね。

これは動物はもちろん、金魚から虫に至るまでの全ての命を尊重せよ。でなければ重い刑を科す、というものでした。

動物の毛皮などももちろんダメでした。

徳川綱吉 生類憐みの令

驚くことに、捨て猫や野犬の保護もかなり大規模で行っていたようです。

現代風でいえば、超巨大シェルター?

徳川綱吉という人は、頭がおかしかったと言われることもありますが、

実際は仏教や儒教などに大変精通した、とても聡明な人であったという説もあります。

徳川綱吉はのちに「病人、捨子、捨て老人、病牛馬の遺棄を禁止する令」というものも出しており、動物に限らず社会的弱者にあたる国民に対しても寛容だったことがうかがえます。

すごく優しい人だったんだろうね。

しかし日本で「肉食禁止令」が出されたのは、それが初めてではありませんでした。

時代は飛鳥時代、仏教が日本に伝わります。

蘇我氏が物部氏との戦に勝利してから、仏教が日本の中心となりました。

この時代の「日本書紀」には、天武天皇が肉食を禁じる「肉食禁止令の詔」を出した記録が残されています。

天武天皇 肉食禁止

具体的には、牛・犬・猿・鶏の肉を食べてはいけない、もし犯した場合は処罰がある、というものでした。

これは仏教の殺生戒に基づくもので、

天武天皇は肉食禁止によって国全体の功徳を積むことで、次の年の豊穣を祈願したと言われています。

また天武天皇は自身が病にかかったりすると、その回復を願い、漁業まで禁止するようになります。

その際は漁業従事者に米を配給するなどして、国民が困らないように努めていたと言われています。

天武天皇の、国全体の平和を願う心優しいお人柄が垣間見える逸話だね。

この肉食・殺生禁止令は、天武天皇の後も四代続いて出されたものです。

そしてなんと驚くべきことに、明治維新後までこれが解除されることはありませんでした。

最終的に欧米化の波には逆らえませんでしたが、つい最近まで日本での肉食は禁止されていたのですね。

豊臣秀吉のキリシタン禁止令

江戸時代に入ってきたキリスト教を豊臣秀吉が徹底的に弾圧したあの事件です。

肉食と何の関りがあるの?

1549年、イエズス会士フランシスコ・ザビエルが鹿児島に到来し、日本にカトリック・キリスト教を伝えました。

その際キリスト教を広めると同時に、実は欧米の「肉食文化」も一緒に広めていたのです。

肉食 伝来

日本では「肉食=穢れ」とされていました。

ところが「肉食=権力」という概念を持っていた西洋人は、大名たちに肉食を勧めます。

「たかが食べ物、されど食べ物」。国民性の堕落を敏感に危険を察知した豊臣秀吉は、キリシタン禁止令を出します。

そしてその一つの大きな理由として、「牛肉食の慣行」を挙げました。

肉食のための殺生が日本国民の精神性を下げ、不運が巡ってくるのを危惧したのかもしれません。

秀吉さん大変だったんだね!

「魏志倭人伝」に伝わる菜食文化

日本の歴史の最初に出てくる邪馬台国卑弥呼の時代、

神と繋がり、そのご加護を受けるためには、肉食を絶たなければいけないと信じられていました。

肉食禁止 歴史

「日本書紀」以外の書物にも、「旧事紀」や「古史古伝」などにも菜食主義のメリットと肉食のデメリットが記されているように、

仏教が伝来する以前から、日本人は菜食主義の傾向が強かったことがうかがえます。

  • 誰かが死ぬとすぐには埋葬せず、亡骸をとどめて喪に服し、十余日過ごす。その間は肉を食べない。死体に触れた後は家族全員で水浴をし、汚れを祓う。
  • 倭国の死者が船で中国へ行く際、「持衰」という役目を負う人がいる。渡航期間中、髪をとかさず、シラミも取らず、衣服を洗わず、肉を食べず、女を近づけず、人を葬るときのようにする。

「持衰」とは、神の無事を祈るための仲介者的役割、いわゆるシャーマンです。

以上の理由から、

邪馬台国の時代からすでに、「肉食は人間の精神レベルを下げる」という考えが、日本には根付いていたと言えます。

昔の日本人はベジタリアンだったんだ!

魚介類は食べられていた形跡が見つかっているから、正確には「ペスコベジタリアン」だったんじゃないかな。

宮中の祭事は今でも菜食が徹底されている

明治時代に入ってすぐの頃、天皇が日本国内での肉食を正式に解禁されました。

そのため現在、皇室の食事は国民と同じく肉類や乳製品が提供されます。

その知らせを聞いた当時の国民の中には、「西洋人の渡来以後、肉食が盛んになったせいで神の居所が穢れる」と主張した人たちもいたようです。

しかし、宮中の祭事では現在でも動物性食品を禁止としており、肉はもちろん、乳製品も徹底的に避けられています。

精進料理、すなわち「ヴィーガン食」に近い食事が提供されます。

これは、「清浄の氣」を保つためと言われています。

つまり天皇家では現在でも、「肉食」は「穢れ」であるということです。

また、「掌典職」と呼ばれる皇室において宮中祭祀を担当する部門では、

普段から上記のような菜食メニューで、動物性のものは徹底的に禁じられているとのこと。

平和へのカギ

「ある国の偉大さと道徳的発展は、その国における動物の扱いかたを見ればわかる」

マハトマ・ガンジー

これはマハトマ・ガンジーが残した有名な言葉です。

弱い立場にあり、声なき者である動物たちの命を尊重し、国全体でそれを傷つけることを禁止することは、徳の高いリーダーのすることです。

肉食文化の中で人間は暴力的になり、戦争や紛争が絶えないのだと言います。

逆に肉食のない文化の中では争いが少なく、平和になるのだとか

平安時代と江戸時代の歴史を思い出してみて。

菜食が良しとされていた時代だね。

一方肉食が流行したのは、戦争が絶えなかった戦国時代、幕末、明治時代でした。

肉食をやめない限り、世界に平和が訪れることはないと言う人もいます。

それほど、「食」が人に与える影響は大きいってことだよ。

平和への大きなカギは、「食」にあるのかもしれません。

食事スタイルを変える時は無理をしない

慣れ親しんだ食事スタイルを急に変えるのは簡単ではありません。

自分に合った方法で、少しずつ変えていくようにしましょう。

まずはプラントベースの食事を好きになるところから始めるといいよ。

急な変化で体調崩しちゃったら本末転倒だもんね。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

日本人は長年菜食をしてきた歴史があることがお判りいただけたかと思います。

このブログでは、ヴィーガンの思想や健康上メリットに関する様々な情報を発信しています。

興味のある方は他の記事も読んでみてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次